~山陰中央新報にてシリーズ掲載~(掲載日:2014年2月18日~2月22日)

山陰中央新報にて、当組合員の㈲江木蒲鉾店・山本蒲鉾店・山文蒲鉾店の3社が紹介されました。

赤天の歴史から始まり、製法、脚光、挑戦、継承まで詳しく掲載されています。「浜田の赤天」を守っていき、さらに全国へと広げていくための3社の取り組みを紹介しています。是非、ご覧くださいませ♪

 しまねの宝 : ストーリーズ 赤天(1) 歴 史
 


「島根ふるさとフェア」の会場で、赤天を手に取る来場者

 ハムカツの代用品で考案

1月18日、広島市内で開かれた「島根ふるさとフェア」の会場。浜田広域圏ブースを訪れた来場者がある商品を見つけると、うれしそうに手に取った。

「あっ、これ有名なんでしょ」「ピリッと辛くて好きなんだよね」

パン粉に覆われた表面はうっすらとピンクがかった赤色。サクッとした食感の後、ピリッとした辛味が追い掛けてくる。浜田生まれの「赤天」。食卓や弁当のおかずとして、地元で長年愛され続けるソウルフードであり、浜田を代表する特産品だ。

詳細な記録は残っていないが、戦後しばらくして誕生したとされる。製造販売する山本蒲鉾(かまぼこ)店(浜田市高田町)の山本智文社長(45)によると、先々代の社長だった祖父が、当時、高級品だったハムカツに似た商品を、魚肉のすり身を練って揚げた「てんぷら」を使って作れないかと思いついたのが発端という。

港町・浜田だけに水産資源は豊富で、原材料が手軽に入手できる上、主力商品の紅白の板蒲鉾を作る際に余るすり身を再利用したいという思惑もあった。

ハムカツの代替品をイメージしたため、生地の表面にパン粉をまぶした。一方で“本家”との差別化を図ろうと、色付けの食紅に唐辛子も加え、味にアクセントを付けた。

「今は『赤天=辛い』と思われているが、ピリッとした食感を出したかったのが原点で、決して辛さを求めていたわけではない」と山本社長は説明する。

現在、赤天を製造しているのは、同社と江木蒲鉾店(同市朝日町)、山文蒲鉾(同市紺屋町)の3社。

ただ、商品名は同じでも、3社の間で作り方や分量などに統一の規格はなく、味も三者三様。共通しているのは、唐辛子が入っている▽パン粉を付けて揚げている▽赤色である-の3点だけだ。

「赤天といっても、味や辛さ、食感はそれぞれ違う。食べ比べて、好みの味を見つけてほしい」と山本社長。

一見同じようでも、製造会社ごとに個性があふれる赤天。3社は製法にもこだわりを見せている。

 しまねの宝 : ストーリーズ 赤天(2) 製 法
 


石臼を使い、すり身を練る山文蒲鉾の藤田雅史社長

 すり身の出来が味を左右

港町・浜田で生まれた赤天。原料のベースになるのは、蒲鉾(かまぼこ)やてんぷら(揚げ蒲鉾)と同じで、魚のすり身だ。以前は地元で水揚げされた鮮魚ですり身を作っていたが、漁獲量の低迷や価格の高騰などで、次第に冷凍ものへと代わっていった。

ただ、製法は昔ながらのスタイルを貫く。

浜田市内で赤天を製造する3社は全て、すり身を石臼を使って練っている。作業は機械で行うものの、スイッチを入れて終わりではない。ペースト状になるすり身の様子を確認しながら、止めるタイミングを見極め、仕上げていく。「気が抜けない」と山文蒲鉾(浜田市紺屋町)の藤田雅史社長(49)。

原料の温度や室温ですり身の状態は変化するだけに、この工程で製品の出来が決まる。失敗すれば全て処分せねばならず、慎重な作業が続く。

すり身の練り方にマニュアルはなく、「感覚」と江木蒲鉾店(同市朝日町)の江木修二社長(55)。他の2社の社長も口をそろえる。

こうして作ったすり身から完成品に仕上げるまでの作業は、各社で異なる。全て手作業で行うところもあれば、機械を取り入れているところもある。

山本蒲鉾店(同市高田町)では、すり身の成形やパン粉を付けて揚げるのも手作業。製造開始当初からの“手打ち”にこだわる。

蒲鉾を成形する刃のない「つけ包丁」で赤く色の付いた生地を練りながらすくい、オリジナルの長方形の型に載せ、形を整えていく。それを粗めのパン粉の上に落として両面に衣をまぶした後、8枚ほどを一気に180~200度の油に入れる。

同社では、別々の油で二度揚げするのが決まり。揚げている間に油の中に落ちてたまったパン粉が衣に付かないようにするため。それぞれの油で1分ほど揚げた後、一つずつ油を落とし、大型の扇風機で一気に冷ましていく。

どの工程も「これまで培ってきた勘を基に進めている」と山本智文社長(45)。妻の千鶴さん(35)は「すり身を練るのだけで半年、一人で任せてもらえるまで7年かかった」と振り返る。

今では機械の性能もよくなり、味に遜色はないが、「お客さまが一人でも手打ちを求める限り、製法を変えず作り続ける」と山本社長はこだわりを貫く。

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「ストーリーズ しまねの宝」の第4シリーズは、浜田市の特産品「赤天」にスポットを当て、その歴史や製法、今後の新たな展望などを探る。

 しまねの宝 : ストーリーズ 赤天(3) 脚 光
 


浜田市内の3社が製造する赤天。製造会社は(左下から時計回りに)山本蒲鉾店、山文蒲鉾、江木蒲鉾店

 メディア効果で全国区に

かつて「浜田の赤天」は、全国の注目の的になったことがある。

1987年、テレビのワイドショー番組で取り上げられたのが発端。全国に眠っている産品などを掘り起こす内容で、登場した商品の人気投票も行われ、赤天は高知県の「四万十の青のり」に次ぐ2番目の高評価を得た。

この放送をきっかけに人気は沸騰し、赤天の名は一躍全国区に。地元の製造会社には県外から問い合わせが相次ぎ、地元住民が土産物として買い求めるケースも増えた。

番組で取り上げられた江木蒲鉾(かまぼこ)店(浜田市朝日町)の江木修二社長(55)は当時、同社におらず、にぎわいぶりを直接は知らないが「朝から晩まで電話が鳴りっぱなしだったと聞いている」と説明。「おかけで大きなPRになり、土産品としても認めてもらえるようになった」と続ける。

ピンクに近い鮮やかな赤色が特徴的な赤天。珍しさから、ご当地商品やつまみの特集で雑誌にも取り上げられた。

こうしたメディア情報に加え、「お土産でもらった人が、購入したいと連絡してくることも多い」と山文蒲鉾(同市紺屋町)の藤田雅史社長(49)が話すように、口コミも認知度向上に大きな効果をもたらしている。

名前が売れたことで、山本蒲鉾店(同市高田町)を含む製造3社の販路も拡大。県内の大手量販店やスーパーをはじめ、地元の道の駅や高速道路のサービスエリア、山陽地方のスーパーなどでも常設販売している。

一方、人気に乗じて出てくるのが類似品。製造業者が多い方が知名度アップにはつながりやすいが、当初から作り続ける業者の製品と大きく異なるようであれば、これまで築き上げたイメージを損なう危険性もある。

「浜田の赤天」を守るため、江木蒲鉾店は1999年に「赤天」を商標登録し、浜田市内で製造する他の2社に限り使用を認めた。

だが、江木社長はジレンマを抱えている。「広島のもみじ饅頭(まんじゅう)や博多の明太子(めんたいこ)のように、ある程度まとまった数の業者が製造して売り出さないと、メジャーな特産品には成長しないのでは」

かつての大ブームから27年。「浜田の赤天」が再び脚光を浴びるため、新たな挑戦も始まった。

 しまねの宝 : ストーリーズ 赤天(4) 挑 戦
 


店頭で本格的に、揚げたての赤天の販売を始めた山本蒲鉾店。入り口には社名入りの日よけ幕を掲げた

 形や味変えた新商品開発

ハート形、スティック状、チーズ入り、マヨネーズ入り、薫製…。

赤天の形と言えば長方形が一般的だが、実は形や味に工夫を凝らした変わり種も多い。

石臼で練った魚肉のすり身がベースとなる赤天。それだけに成形前の原料は粘土状で、いろいろな形にできるほか、食材を挟んだり、混ぜたりすることも可能だ。

山文蒲鉾(かまぼこ)(浜田市紺屋町)は10種類の赤天を販売している。

「長方形だけだとお客さんに飽きられ、売り上げも頭打ちになってしまう」と藤田雅史社長(49)が危機感を募らせ、1990年代初めから新商品の開発に取り組んだ。

「うちでは、いつもチーズを載せて焼いて食べている」と知人から聞くと、それをヒントにチーズ入りを商品化。マヨネーズ入りも作った。

また、浜田市雇用構造改善協議会から提案を受け、桜のチップを使って薫製にした赤天を「赤天くん」と名付けて商品化し、販売。成功はしなかったものの、若者向けの商品を作ろうと、チョコレート入りを試作したこともあった。

「うちは直球勝負でなく、変化球で攻める。次は浜田特産の食材を挟みたい」と藤田社長。赤天を揚げる際の油の温度は180度。高温に耐えられ、なおかつ、浜田らしい食材で商品ができれば「もう少し売り込めるようになる」と構想を練る。

挑戦は新商品づくりだけではない。

「出来たてに勝るものはない。揚げたての熱々を食べてもらいたい」。そんな強い思いを胸に、山本蒲鉾店(同市高田町)の山本智文社長(45)は新たな一歩を踏み出した。

それが、今月17日からスタートさせた、揚げたての赤天の店頭販売。これまでも店舗で売ってはいたが、熱々の作りたては製造の終わる昼ごろまで。夕方でも揚げたての赤天が食べられるようにと、店舗を改装した。

店頭にフライヤーを置き、テークアウト方式で1枚から販売。店先には新たに作った社名入りの日よけ幕を掲げた。

理想は、子どもたちが学校帰りに立ち寄るような、昔ながらの魅力的な店。「地元の人たちにとって、赤天がもっと身近な商品にならないと」と原点に返り、足元を見つめる。

 しまねの宝 : ストーリーズ 赤天(5) 継 承
 


赤天を製造する山本蒲鉾店の山本智文社長(手前)。後継者確保の課題を抱えながら、伝統の製法で作り続ける

 働き手や後継者確保課題

2010年9月、浜田市内の老舗蒲鉾(かまぼこ)店が廃業した。

豊富な水産資源や大規模な沖合漁業で、水産業がにぎわっていた1960年代、市内には缶詰工場をはじめ、練り製品、塩干し品、調味加工品などの工場が軒を連ねていた。

しかし、漁獲量の低下や加工時の排水問題などで関連業界は徐々に衰退。戦後、二十数社あったとされる蒲鉾店も廃業や倒産が相次ぎ、現在残っているのは、赤天を製造している3社のみだ。

加えて、原材料の高騰や消費低迷で、業界の先行きは明るくはない。それだけに、働き手や後継者確保の課題は重い。

山本蒲鉾店(浜田市高田町)の山本智文社長(45)は、2代目の祖父に「継いでほしい」と懇願され、配送業の仕事を辞めて、1999年に出雲市から戻ってきた。

祖父や父の働く姿を見て育ち、大変さを知っているからこそ、子どものころから「家業を継ぐ気持ちはほとんどなかった」と振り返るが、赤天製造の伝統を引き継ぐうち「この製造工場を残したい」と思うようになった。

ただ、後継者はおらず、「若い人でやりたいという人がいれば引き継ぎたい。チャレンジャーを募集している」と願う。過去に、県立大(同市野原町)の学生が興味を持ち、体験に訪れたことがあったが、就職には結び付いていない。

現在、同社は山本社長夫婦と従業員3人の5人体制。「すり身を作る職人もほしいが、欲を言えば営業マンもほしい」と山本社長は吐露する。

他に赤天を製造する江木蒲鉾店(同市朝日町)、山文蒲鉾(同市紺屋町)を取り巻く状況も大差はない。

3社にとって赤天は会社の経営を支える主力商品。一方で、この3社がなくなれば「浜田の赤天」は姿を消してしまうことになる。

健康志向が強い時代だけに、唐辛子と着色料による赤天の色に対する抵抗感もあるが、「まだまだ完成品じゃない。色づけに改良の余地はある」と江木蒲鉾店の江木修二社長(55)。

さまざまな課題を抱えながら「浜田の赤天」を守り、さらに広めていくため、3社のトップは前を向き、歩み続ける。